すべては「素材の味を活かす」から始まった

1965年頃から消費者の嗜好の変化とともに食品の甘味化が進んでゆきました。それまでは辛さの中にも旨さのあるものが受けてましたが、味のソフト化、つまり調味料や添加物によって食べやすいものになりましたが、飽きのくる味に変えられてしまったわけです。当時、首都圏では各地の「ふる里の味」が人気を集めましたが、そういった土地の名物も例外ではありませんでした。手軽になってしまったこの味を一般の消費市場で販売して、果たして何人の人が喜ぶのか?こんな疑問に始まり、素材の味を活かしたものこそが、いつまでも愛されるはずだと結論を出しました。そして、デパートの食品フェアーでの販売を手がけることから新しい味づくりの開発を考え、1968年にともやを創業して今にいたっています。

「ホタテ貝」は漁業の歴史を塗り替えた

いろいろな水産物を扱ってきた中で、ホタテ貝ほど毎年毎年安定した量で原料が供給されるものはありません。私どものような水産物の加工・卸売業は人手を抱える仕事ですから、原料の供給量が安定していないと非常に困るわけです。比較的良く獲れるサンマ、イカ、サバ、イワシといった大衆魚を含め、魚は毎年決まった量が獲れるわけではありません。原料が安定して供給されるものでなければダメだ、ということで調査した結果出会ったのが1965年頃から養殖が開始され安定した水揚げが開始されたホタテ貝だったのです。
1976年に青森に工場を開設しまして、最初は東京からの新規参入ということで地元の抵抗も大きかったわけですが、2年後には安定した原料確保と生産が可能になり、生産・販売体制の拡大を続けながら現在にいたっています。漁業の形態は、獲る漁業、海外での指導漁業、育てる漁業へと変化してきましたが、ホタテ貝ほど安定した、先行きの見える水産物は漁業の歴史の中にありません。また、ホタテの養殖で成果を上げているのは日本だけです。フランスや中国、アメリカから養殖の勉強に来ており、青森県漁連が指導しています。一部成功を修めているといわれていますが、今後は世界に広がってゆくことは確実だと思います。

「グローバルマーケット」を視野に入れて

ホタテ貝は世界の代表的な料理、フランス料理、中華料理、日本料理などさまざまありますが、そのどれにも素材として必ず使われております。グローバルに需要のある貝といえます。したがって、世界的な規模から見れば、もっと養殖され、消費されていいわけです。今後は世界的市場をにらみながら、さらに広範に輸出や養殖技術の指導が必要になってくるでしょう。
私どもは素材の良さ、天然の味を十分に活かすという商品の考え方を基本にしていますから、本当においしい素材しかご提供していません。ですからグルメが味を追求することであるとするなら、ともやの商品はさまざまなグルマンな食べ方に適しているということができます。逆にいえば、もし素材を提供する側が真剣に本来の味を追求していたならばグルメという言葉は生まれてこなかったのではないでしょうか。
素材を活かすというところで、ともやは人作りという面でも素材のよさを活かしています。仕事はマニュアル通りには決してゆきません。毎日毎日、その瞬間・に発見のチャンスがあるわけです。良いアイディアが社員から自発的に出てくるようなアメニティ作りが大切です。私どもの商品自体がそういったアイディアの結晶といえますし、また営業の現場では常に新しいメニューの創造と提案が必要です。若者らしいフレッシュな視点から生まれた建設的なアイディアをぶつけ、お互いの意見を大いに戦わせたいものです。最後に若者に告げたい。「消極的成功より積極的失敗を!」